本日の修身教授録 一日一言 9月3日

9月3日 優れた師① 叱らずして悦服させる

 

 

 本当に偉い方というものは、そうみだりに声を荒らげて、生徒や門弟を叱られるものではないのです。第一その必要がなかろうと思うのです。
 大声で生徒を叱らねばならぬということは、それ自身、その人の貫禄の足りない何よりの証拠です・つまりその先生が、真に偉大な人格であったならば、何ら叱らずとも門弟たちは心から悦服するはずであります。【130】

 

 

~「修身教授録 一日一言 森信三=著」より~

 

 

 

人格者たり得る人というのは、自らの学びと実践において様々な努力をしてきたからこそ、周りの気持ちがわかるようになる。

 

これは包容力というか、もっと大きく言うなら愛か。

 

学びと実践において成果をつくり、その成果の上に胡坐をかかず謙虚に学びと実践を続ける人の器は更に大きさを増し、これからの人に対しても愛をもって接することができる。

 

上に立つ者としては、師と呼ばれることを目指すのではなく、ただひたすら学びと実践を通して愛を与えることを目指すべきですね。