本日の修身教授録 一日一言 1月20日

1月20日 野心と志

 

 

私達は、また野心という言葉と「志」という言葉との区別をせねばならぬでしょう。野心とか大望というのは、畢竟(ひつきょう)するには自己中心のものです。すなわち自分の名を高め、自己の位置を獲得することがその根本動機となっているわけです。【329】

 

 

~「修身教授録 一日一言 森信三 著」より

 

 

 

野心という言葉には、最終的な目的が「自分だけの幸せ」というニュアンスを感じます。

 

「あの人は野心家だ!」

 

そう思われるのは、志を伝えきれていないか志が無い、若しくは描き切れていないかのどちらかです。

 

若いうちは野心的に意欲をもって臨むことは大切な通過点ですが、それでは結局一人相撲になって大きな成果や本当の幸せは成就できない。

 

多くの人を幸せにする、という志があり、それが伝わるからこそ多くの人の援助によって大きな壁も乗り越えられる。

 

自分一人でやれることは知れています。

 

衆知の力をどれだけ借りられるか。

 

最後はその差。