本日の修身教授録 一日一言 11月9日

11月9日 教えの力、教えの光

 

 

 他人、とくに自分の平生親しくしている同級生とか同僚などの、優れた点に気付くということは、結局その根本において、教えの力によらなければならぬでしょう。
 つまり人間というものは、教えの光に照らされなければ、たとえ幾年、否、時としては十数年の永きにわたって交わっても、この点に対する深い自覚には至りがたいものであります。けだし教えの光に照らされるということは、つまりは自分の醜さが分かりだすということだからです。【147】

 

 

~「修身教授録 一日一言 森信三 著」より

 

 

 

「若いうちは失敗してもいくらでも挽回できる」

 

と、怖いもの知らずの無鉄砲さで突っ走っていたころがありました。

 

それはある意味良い面ですが、根拠のない自信が過剰になると人の意見に耳を貸さないとか、態度が傲慢になって、何れ壁にぶち当たるようになります。

 

自分が周りの人たちと比べて、いかに足らない人間なのか自覚するのは、痛い目を見、周りの優れた行いに気付くようになった時。

 

これが自分の醜さだと気付き、教えを乞う素直さが出てからがスタート。

 

私の場合、そのスタートが遅く今も四苦八苦していますが、あの頃よりも確実に周りの幸せに向いているのは、多少成長している証として自負しています。