本日の修身教授録 一日一言 12月5日

12月5日 風雪の鍛錬

 

 

 私は老木を見ていますと、その枝一つひとつが、いかに多くの風雪にたえて来たかということを、しみじみと感ぜしめられるのであります。いやしくも老木といわれる以上は、ただ気が大きいというだけではなくて、そこに一種いいがたい気品とも言うべき趣がなくてはなりません。そしてその趣は、風雪によって鍛えられて、いわばその生なところがことごとく削りとられて、残すところがなくなったものであります。それ故、植物でありながら、永年の風雪の鍛錬によって、そこには一種精神的ともいうべき気品が現れて来るのです。【406】

 

 

~「修身教授録 一日一言 森信三 著」より

 

 

 

昨日の続き。

 

温室でぬくぬくと育っているものは、環境の変化にはきっと耐えられないだろう。

 

例え姿かたちは真っすぐではなくても、環境の変化に耐え生き延びるために変わっていったのであれば、その姿かたちには周りに何かしらの厳かさやオーラのような気を感じさせる。

 

それが気品と言うべきものだとすれば、人間には生きるための行となる鍛錬を自らに課していく精神が必要だと解釈いたしました。

 

自然体を晒せることが、一番の強さですね。

 

まだまだその域には達していないと考えさせられました。